東大阪市の民俗文化財に指定されている住宅が吉原にあるのをご存知ですか?
村の細道の中にあるので、吉原付近以外の市民の方はご存知ない方が多いかもしれません。
私も数年前に偶然通りかかり知りました。
大きなお屋敷で周りの塀が立派だなと思いながら見ていると立札があり、とても歴史のある建物なんだなと初めてわかりました。
下記は藤井家住宅前の立札に書かれている内容です
藤井家は吉原村の東端にあり、庄屋を務めた旧家です。住宅は、当家に残る資料(天保12年上り続く「萬覚帳まんかくちょう」)によると、文久2年(1862)9月に亡くなった弥五右ヱ門という人が建てたと推定される江戸末期の民家です。
主屋は調査の結果、茅葺き入母屋造り、復原平面は桁行9間、梁行4間、身舎梁行3間の食い違い4間取りとみられます。土間部分は、ウチニワの庭大黒柱から表方につき止め溝をもつ差鴨居、裏方に煙返し梁が架かっています。妻何は現在2 部屋となっていますが、元はこの部分の表がナヤ、裏がカマヤとなっていました。居室部分は、土間境に幅一間のヒロシキ、その奥に式台ゲンカンを有する6畳のクチノマ、その裏に6畳のダイドコと4畳の板開が並び、奥方の表に8畳のザシキ、その裏に 8畳のナンドを配しています。ナンドの裏に後年増築された奥座敷がありましたが、保存修理によって元の状態に戻されました。市内幕末期住宅の典型として、昭和51年に市の民俗文化財に指定されています。
平成16年10月
東大阪市
他にも藤井家住宅について何か資料はないのか調べてみたところ、
東大阪市教育委員会発行の
−わが街再発見−東大阪市の歴史と文化財
では下記のように書かれていました。
諏訪神社の前の道を、古い家並みに沿って北へ行くと吉原に入り、家並みが東側で切れるところにあります。
当家に残る古文書によると、幕末の文久2年(1862) に亡くなられた弥五右衛門という人が建てた江戸末期の民家です。
現在、増築、改築が加わって複雑な間取りとなっていますが、当初は、桁行9間、梁行4間、身舎梁間3間で、くい違い4間取りの茅葺入母屋造(かやぶきいりもやづくり)であったことがわかります。
市内幕末期住宅の典型とし昭和51年に市の民俗文化財に指定されています。
弥五右衛門が亡くなられた1862年から計算しても163年前もの民家が未だ現存しているんですね!
残念ながら中は見れないので、現存は市が管理しているのかお住いの方がいらっしゃるのかもわかりませんが、こんなにも長い年月を大事に保存されてきた歴史ある民家ということがわかります。
※2025年7月時点の情報です。
〒578-0904東大阪市吉原1-4-7
この記事を書いた人:マチキシャ green
「吉田駅」含め近鉄けいはんな線でお住まいをお探し方は東大阪の不動産情報に強い城戸産業まで。
東大阪での暮らしを希望されるお客さまを全力でサポートさせていただきます。