荷物などを運送する手段が現在のようなトラックなどではなく、舟であったころに重要な役割を果たしていた水路跡。
古箕輪で見ることができます。
下記は水路脇に建てられている東大阪市の立て札の内容です。
宝永元年(1704)大和川付替以前、新開池は、早ばつが続くとすぐに泥沼と化すため、池中に五箇井路・六郷井路とよばれていた水路が設けられていました。
これらの水路は、吉田・菱江・中野・吉原・加納村等の排水路として、また大坂との重要な水路交通として利用されていました。宝永2年新開池が大坂の豪商鴻池善右衛門等によって開発され新田となりましたが、これらの水路は、以前から使用していた村々に既得権がありました。
ここは、新開池の南東隅にあたり、多くの村の井路が合流、または樋をとおして立体交差させてあります。これは江戸時代のきびしい水利権によるものです。
大坂から寝屋川を通り六郷井路等を通ってきた剣先舟は、ここで樋門により水の高さを調整し、各村の井路を通って荷物を運んでいました。
平成13年9月 東大阪市
古箕輪の水路跡では、乗合舟の乗り場であっただろう跡も見れます。
水路の役割を終えた現在では、遊歩道になり水門跡には鴨や魚が泳いでいる姿が見れます。
※2025年7月時点の情報です。
住所:東大阪市古箕輪1丁目9
この記事を書いた人:マチキシャ green
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